備後歴史探訪倶楽部

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猪の子古墳

   

猪の子古墳

所在地:広島県福山市加茂町下加茂

築造時期:7世紀後半

規模:墳丘(全長:14m?、高さ:3m?)、主体部(全長:6.5~6.7m)

  • 石槨(長さ:2.82m、幅:1.09m、高さ:0.89~0.95m)
  • 羨道(長さ:3.63~3.84m、幅:1.46~1.70m、高さ:1.25m)

解説:猪の子古墳は加茂川と百谷川の合流地点で加茂の平野を見下ろす丘陵上にあり、現在は江木(えぎ)神社の境内となっている。資料には西側に隣接して横穴式石室を持つ古墳(2号憤)があると書かれるものがあり、「猪の子1号古墳」と呼ばれることもあるが、2号墳は消滅したようで確認することはできない。現在の盛土は円墳となっているが、これは近年に附加されたもので、本来の形状はわかっていない。ただ、周囲の地形から円墳あるいは方墳だと考えられている。円墳の場合、直径12m程度、方墳の場合、一辺14m程度だと推定される。

埋葬施設は南北方向に横口式石槨(石槨+羨道)と呼ばれる終末期古墳特有の形態となっているので、築造時期は7世紀後半と推定されている。石槨部は花崗岩の切石で構成され、床面、側面、天井面、各面1枚の石材が用いられている。石材の接合部分は鈎(かぎ)状の凹凸で組合わされている。天井部分は緩やかなアーチ状となっているが、これは力学的ではなく装飾的(石棺を模した?)な意味による加工だと考えられている。天井と側壁との隙間には漆喰が残っており、築造時には石材の継目を塞いでいたようである(壁面全体に塗布されていた可能性は石材の形状などから低いと考えられている)。羨道部は南面に開口し、各面前後2枚の石材で構成され、奥側は切石、手前は割石が用いられている。入口は切込みや溝がないため扉石は存在せず石を積んで形式であったようである。尚、羨道入口の両壁面は天井石よりも突出しているが、周囲の地形から判断すると、これより先に羨道部分が延びていた可能性は低く、ここは墳丘に露出させ入口を表示する目的があったと考えられる。

現在、石槨・羨道部とも天井部分にひび割れが生じ崩落の危険があることから、入口に鉄格子が設けられ通常は主体部に入ることはできなくなっている。主体部の開口は古くからされていたようで、副葬品等の遺物は残されていない。備後地方には横口式石槨として猪の子古墳のほか、曽根田白塚古墳、尾市古墳が知られているが、この形態の古墳が近隣に集中するのは全国的に見ても極めて特異であり、築造には当時の政治的動向が深く関連すると考えられる。また、備中の長砂古墳(岡山県総社市)と形状の類似性も指摘されている。1950年9月16日、「県指定文化財」に登録されている。

文献:日本の古代遺跡 26 広島(保育社)、日本古墳大辞典(東京堂出版)、探訪・広島の古墳(芸備友の会)、古墳探訪(備陽史探訪の会


眺望
石槨開口部から。遠方正面に石鎚山古墳が見える。
遠景
憤丘全体。

石槨内部
石槨内部。天井が割れている。地震によるものらしい。

案内板
案内板。「地方豪族の墓と推定されています。」との解説は個人的には疑問がある。

横口式石槨実測図
横口式石槨実測図(『芸備 第2集』より)

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