北門
北門は外堀に面した三の丸北東にあった門である。北門は本来であれば「東門」と呼ぶべき位置に設けられているが、三の丸東面には南東にも門があり、こちらが「東門」とされたため、「北門」と名付けられたようである。外枡形の入口は三の丸で唯一土橋となっているが、これは防衛上の観点からではなく門から北側の堀と南側の掘を物理的に分離する必要があったからだと思われる。
というのは、北門から北側の外堀は水源を吉津川から二の丸と天神山(松山)との間を経由する水路から導いており、現代の上水道でいう沈殿層の役割を持っていたと考えられるからである。絵図によると、ここで浄化された水は主に城下の南東部に配水されていたが、水野後期になるとこの堀からの水路は描かれなくなるので、暗渠化されたか、廃止されたようである。
北門は櫓門に外枡形が組み合わされ、門を入った位置には内枡形状(コの字)の石塁が設けられるなど、厳重に防備されていた。門を潜ると正面に番所が設置されていて、櫓門内部へは内枡形状の石塁を裏から登って入るようになっていた。
廃城後、北門はしばらく維持されていたが、明治初期に周囲の敷地ごと個人に売却され、櫓門の部材は家屋に転用され、石塁は庭石へと転用されたといわれる。門の姿は写真もなく詳しくはわからないが、西門と似たような姿であったと考えられる。
現在の北門跡は周囲も含めて個人の宅地となっているが、外枡形の石垣は部分的に残されている。この石垣は1973年(昭和48年)から市の史跡に指定されているが、現在は個人宅の塀に転用されており観察は外側からのみ可能となっている。尚、この南側で2005年に外堀に面する石垣が発掘されているが、この石垣は北門から続く石垣の延長線上にあるため、北門周囲の石垣も地下に残る可能性が高いと思われる。