備後歴史探訪倶楽部

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水手門

   

水手門
水手門は二の丸帯曲輪の北西にあった小規模な門である。門の形式はその規模や位置から埋門だと思われるが、高麗門あるいは薬医門の可能性も考えられる。虎口は石垣によりコの字に囲まれており、小規模な門ながら防御には相応の配慮されている。しかも、すぐ南側の塁線はL字に折れ横矢が掛かり、その先には三層の神辺四番櫓が建てられているので、実はかなり堅固な門であったようだ。

「水手」の由来はよくわかっていない。福山城には「水門」という類似の名称を持つ門があり、こちらは外堀に直接繋げられていたが、この水手門は堀に近接するものの水面に直に接しているわけではなかった。しかし、「水手」とあるので水と何らかの関わりがあったと考えられている。そのため、堀の水を汲みにいくための門とされることもあるが、福山城の堀は海と通じ海水と淡水の混ざり合う「汽水」であったはずで、しかも、城内には数ヶ所の井戸があったので、この説明には疑問がある。他には、堀に浮かべた舟により物資を運び込むための門とも考えることができるが、築城初期に海への出入りは土橋(築切)で遮断されているので、舟は外堀内しか往き来することしかできなかったはずで、そうした短距離をわざわざ舟に乗せ替えて運ぶというのは考えにくい。従って、築城当初のみ使われていた、あるいは別の目的、例えば遊覧用の舟が接岸されていた、などが考えられる。しかし、いずれも推測の域を出ない。

水手門は明治初期には破壊されたらしく、周囲の石垣も昭和初期までに崩されて周囲は宅地や畑として利用されていた。そのため、今日ではその痕跡を確認することはできず、史料も少ないので正確な形状は不明となっている。

水手門
西外堀跡から見た水手門跡。ふくやま美術館前から撮影。
手門跡が○、堀の推定範囲が水色。間の階段は当然ながら近年に造られたものである。

水手跡推定位置

水手跡推定位置

水手跡推定位置

水手跡推定位置

 - 二の丸