狼塚2号古墳
所在地:広島県福山市駅家町法成寺字狼塚
築造時期:7世紀後半
規模:墳丘(全長:12m、高さ:不明)、主体部(全長:5.5m)
- 玄室(長さ:2.7m、幅:1.45m、高さ:1.45m)
- 羨道(長さ:2.2m、幅:1.45~1.5m、高さ:1.45m(袖部含まず))
解説:神辺平野の北側に広がる丘陵(標高144m)の斜面(畑地)に築かれていた。1997年(平成9年)、工業団地(福山北産業団地)の造成により南東250mの場所に移設されている。これに先立ち発掘調査が行われ墳丘自体は流出していたものの、墳丘周囲に幅2m~2.2m、深さ40cmの溝が巡らされていることがわかり、直径約12mの円墳であることが明らかになった。
埋葬施設は横穴式石室で南南東の方向に開口している。玄室、羨道ともほぼ同じ幅と高さで造られていて、その間を天井と壁面を石柱(幅約40cm)で突出させ空間を分離する形となっている。長さも玄室と羨道+石柱(袖部)でほぼ同じになっている。こうした構成は大坊古墳や大佐山白塚古墳と共通しており、玄室の大きさも大坊古墳に比べて、全長で約1/2、幅、高さは約2/3となっているなど、同様の規格により造られたようである。そのため、狼塚2号墳は研究者の間にも殆ど知られていなかったが、発掘により大きく注目されることになった。副葬品は殆ど残されていなかったが、発掘調査の際に石室内部から金具(馬具?)、管玉(滑石製)、須恵器の破片が出土している。
石室の石材は花崗岩の切石が用いられ、壁面は原則的高さ約1m石の上に50cmの石を積み重ねた二段の石材により造られている。天井部は北側が合掌式、南側は一枚岩の天井石となっている。加工精度は大坊古墳に比べ荒い。築造時期は大坊古墳に類似していることなどから、大防古墳に近い時期(7世紀前半)と考えられている。
文献:吉備考古ライブラリィ5吉備の古墳(下)備中・備後(吉備人出版)
主体部入口。鉄格子により入れないようになっているが、実は隙間から入れないことはない…。
案内板より。発掘時の写真。墳丘の形状がよくわかる。
石室内部。床はコンクリートで固められている。
石室正面。
現在の位置から元の場所を望む。山は削られ工業団地となっている。
【狼塚2号古墳(現所在地)】