備後歴史探訪倶楽部

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荒布櫓

   

荒布櫓荒布櫓は本丸北西の塁線上に位置する横長の二層櫓で神辺城から移築されたといわれる(備陽六郡志)。黄金水の裏に位置し人質櫓と棗門とを結ぶ多聞櫓の間にあった。他の多くの櫓が塁線の角に築かれるのに対し荒布櫓は横矢もない直線の途中に築かれているが、ここは直下の二の丸に水手門を見下ろす位置なので、その防衛を支援する目的があったのだろう。「荒布」の由来は名前の通り荒布を櫓内に収納したからだと思われる。荒布とは「かじめ」とも呼ばれる(正確には両者は異なる)暗い褐色をした昆布の一種(褐藻類コンブ科アラメ属)で瀬戸内海を始め全国各地に植生する長さ50cm程度の海草であるが、これを乾燥させ保存食(乾物)として籠城などに備えていたようだ。ちなみに一般的な調理法はヒジキとほぼ同様で一晩水にさらし柔らかくなったものを水洗いしてアクを抜き炒めるが、味噌汁の具としても有効である。

荒布櫓は明治時代初期に破却されたらしく、古写真も残されていないため、正確な姿はわからない。現在の櫓跡は本丸内の多聞部分の改変が甚だしく、遺構の位置を目視で特定するのは困難となっているが、絵図などと照合すれは概ね黄金水の西側であったようだ。ちなみに、同様の名称の櫓を持つ城に津山城(岡山県)が知られている。

荒布櫓の櫓台

荒布櫓の櫓台

 - 本丸