鬼門櫓
鬼門櫓は二の丸帯上段帯曲輪にあった三重の櫓で名称の通り北東の方角に位置していた。西側は蔵口門まで多聞櫓が巡らされ、南側は東坂三階櫓まで福山城で唯一の二階建ての多聞櫓が延ばされていた。このように、鬼門櫓周囲の防御が極めて厳重なのは南側の東坂三階櫓と同様に堀がなく石垣も低い(2間半:約4.5m)という周囲の脆弱さを補うためだと思われる。
櫓は明治初期に破却され図面も残されていないので、詳しい実態は不明である。ところで、水野時代の絵図である「小場家絵図」ではこの櫓を「神辺櫓(カンベヤクラ)」と記しており、当初は鬼門櫓の呼称ではなかった可能性、あるいは鬼門櫓が神辺城から移築された可能性も考えることができる。また、水野時代の文献には鬼門櫓の呼称は見当たらず、実は呼称も不明瞭である。
土砂により埋没が進んでいる。東側の二の丸下段はここで行き止まりのため、ここを訪れる人は非常に少ない。
奥の木々の茂る部分にあったと思われる。右手の地面の凸部には多聞櫓が建てられていた。