本丸御殿-表向
式台:
御殿の玄関。広間の南東端東面に付属する建物で筋鉄門を入って正面にある。
広間:
本丸の南側中央に位置している。東、西、南面は縁側が廻らされる。広間は表向御殿で最大の広さ持つ部屋で、「虎の間」とも呼ばれている。家臣が集っての公式行事はここで行なわれていた。虎の間の北側は、「獅子の間」と呼ばれる部屋になっていた。
内玄関:
玄関を北に進んで左手が「仙人の間」と呼ばれていた。「仙人の間」の奥座敷は「取次の間」と呼ばれていた。虎、獅子、仙人など、名称は障壁画の題材に由来 するようだ。
大書院:
大書院は藩主の公式な政務の場所であり、迎賓の場でもある。広間の東側に位置しており、広間とは廊下で接続されていた。西、南面は縁側が廻らされていた。南東隅は 南の御湯殿と渡廊下で繋がれていた。北面も表居間に渡廊下で繋がれていた。大書院は「皇帝の間」とも呼ばれていて、古代中国の歴代皇帝を題材とした障壁画が描かれていたようだ。皇帝の間は御殿建築において最も格式が高いとされている。
小書院:
小書院は藩主の通常の政務の場所である。広間の北東に続いており、表御殿の中心的な建物となっていた。
表居間:
「御殿」または「伏見御殿」とも呼ばれている。伏見城からの移築と伝えられ、表向御殿では最も奥に位置している。本丸御殿で唯一の桧皮葺の建物であったようだ。西面、南面は縁側が廻らされており、大書院、小書院と廊下で接続されている。藩主の通常の居室であったとされ、湯殿と便所が付属している。備陽六郡誌によると、格天井に秋野の七草が描かれ、障壁画は加納永徳の筆による山水の墨絵であったという。また、建物の箱棟(屋根頂上隅)には葵の紋(徳川家の紋)が刻まれていたという。
御湯殿:
三段の座敷と湯殿で構成されている。眺望が重視され、石垣に突出して建てられている。大書院に廊下で繋がっていることから、接客の場として用いられたようだ。「御湯殿」の名称は大正時代になってからのもので、当時は「御風呂屋」と呼ばれていた。空襲で焼失し、戦後に復元されているが、当時とは規模、形状は異なっている。
(御湯殿の詳細は別途記載する予定です。)
台所:
台所は本丸御殿で最も西に位置している。内部は多くの部屋に分れていて、調理場や物置、土間などで構成されていていた。
料理間:
広間の北に接続する建物で、小書院、台所、奥台所と廊下で繋がっていた。裏方の中心的な施設である 。数多くの部屋があり、役人部屋や物置などに使われていた。
(写真中央の木のあたり)